立川新の「大内刈り」ポイント取ってもらえない事件から考える 「技」採点競技としての柔道の難しさ。 [スポーツ理論・スポーツ批評]

 昨日の世界柔道2018、男女混合団体戦、日本は見事な内容で優勝した。中で一番厳しい戦いだったのが、準々決勝、地元アゼルバイジャン戦。そして、その中でも、もし落としていたらまずかったのが、ゴールデンスコア3分13秒までかかった、立川新vsオルジョフ戦。最後、大内刈り、技ありできまったのだが、この技、本当なら一本をとっておかしくない。しかし、それだけではない。実は、この試合、開始15秒で、まずポイントを取ってもおかしくない大内刈りで相手を横倒しにしている。が、ポイントなし。さらにゴールデンスコアに1分23秒、完全に一本ある大内刈り、少なくとも柔道を知っている人なら全員が技あり以上を付けるだろう技に、ポイントなし。そして、最後の完全な一本大内刈りも、技ありどまり。
 この試合の審判、見た目、東アジア系の女性審判(日本人は日本の試合の審判はしないはずなので、モンゴル中国韓国北朝鮮か、旧ソ連のカザフとかあたりの人かと思うのだが)なのだが、「地元びいき、アンチ日本の判定か」などと騒ぐつもりは、私には全然なく、そうではなくて、この審判、おそらく、「本当に大内刈りが決まるとどうなるか」を知らなかったのだと思う。と書くと「えー、大内刈りみたいなポピュラーな技、国際審判員の、しかも世界大会で審判するような人が知らないわけないじゃん、馬鹿じゃないの」という人がほとんどだと思うが、私がそう思った理由をこれから、長くなるが書いていきたい。
 あの篠原×ドゥイエ戦の誤審も「内また透かし」には、どんな種類があり、それぞれの形では、決まると、どんな形で「技をかけた方」と「かけられた方」が転がるか、についての知識が、あの主審になかったために起きたのだと思う。今回も、「よくある普通の大内刈り」ではなく、「めったにないすごい大内刈り」が決まると、かけた人、かけられた人が、どこにどんな状態で倒れるか、について、残念なが、この審判は、見たこともないし、判定したこともなかったのだと思う。
 かなり脱線したところから話を始めたい。柔道は、技術が高度化複雑化しているのに、技の名称は、初めに加納治五郎が分類整理したときから、あまり増えていない。つまり、現在、かなり違う原理で、かなり違う決まり方をするいくつかの「まったく別の種類の技」を、便宜上、ひとつの技の名称でくくっている。有名なところでは、俗称「韓国背負い」は、背負い投げとは全く別の動作と原理で投げる技だが、決まり技分類上は、「背負い投げ」である。
 また、柔道の技には、「似た形の技」があって、似ているけれど、有名な名前と、なじみの薄い名前がある。そして、本当はマイナーな方の投げ方で投げていても、メジャーな名前で分類されているうちに、メジャーな名前の技の中身の幅が広がってしまう、という現象も起きている。
 具体例でいうと、朝比奈沙羅は一昨日、ほとんど全部の試合を「支えつり込み足」で勝った。相手の足首付近に自分の同側の足裏を当てて、そこを軸に手前に引っ張り出して相手を回転させ倒す技だが、この足を当てる位置が膝になると、本来、名称は「膝車」になる。膝まで足をあげるため、やや攻撃側のカラダ位置が遠くなり、脚が伸びた状態になる。
 一昨日の決勝戦、朝比奈の足裏は、相手の膝にはいっている。膝車である。ただしカラダの位置がさほど遠くなっていないので、技のシルエット全体としては支え釣り込み足的に見える。そこまで、放送も、決まり技を発表してきた審判団も「支えつり込み足」と朝比奈の技を呼び続けてきたので、「膝車かも」というような議論は特に起きない。
 66キロ級で圧勝した阿部一二三。圧倒的に強い天才であることに異論はないが、彼の技を「背負い投げ」というのには、私は抵抗がある。阿部一二三の「背負い投げ」と呼ばれている技のほとんどが、「釣り込み腰」である。今、ふつう、「釣り込み腰」というと、みな、袖をもっての逆回転技「袖釣り込み腰」しか思い浮かべないが、背負いと同じ方向に回って投げる「釣り込み腰」という技が存在する。背負い投げとの相違点は、前から見た時に「くの字」に腰を曲げて、お尻を相手の体の向こう側まで突き出し、自分の体側に巻き付けるように相手を前に投げる点である。袖釣り込み腰の多くがそういう決まり方をすることを思い浮かべれ、それを背負い投げの襟と袖の持ち方でする、と理解すればわかりやすい。
 今回の阿部一二三の決勝戦、直前に妹が金メダルを取ったので、気負いに気負って無理やり投げようと技をかけまくると、技のクセが非常によくわかる。カラダが「くの字」に曲がって、腰を相手の向こう側まで押し入れようとする動作がはっきりとわかる。しかし、袖をつらないただの「釣り込み腰」という技は、なじみのない、マイナーな技であるために、阿部一二三のあの技は、一般には「背負い投げ」として知られるようになっている。
 私がなぜこのような細かい名称について、くだくだと文章を書いているかというと、阿部一二三のあれが背負い投げだ、となってしまうと、柔道をする子供たちが、あの形のマネをするようになる。あの形でうまく投げられれば良いが、普通、あの形で背負い投げを練習すると、肘を故障しやすい。古賀稔彦選手も背負いの名手と言われ、阿部選手の背負いの形は古賀選手に似ている、と言われるが、まさに、古賀選手は、あの「腰を入れる」形で両手の背負いを練習したために肘を壊し、あの形で無理のかからない一本背負いの名手になったのである。
 背負い投げを肘を壊さずに習得するなら、野村忠弘氏と、そのおじさん豊和氏(オリンピックの金メダリストである。)、歴代柔道家最強説もある、藤井省太先生など、天理大学で継承研究され続けてきた背負い投げか、秋本、粟野ら、桐蔭学園→筑波大系の背負い投げを教科書にするのがよい。これらの背負いと阿部一二三の背負いを比べれば、形がはっきり違うことがわかると思う。
 背負い投げと並んで、今、もっともよくみられる内股についても、本当に内股本来の形(跳ね上げつつも横に回す)で内股を使ったのは、故・斎藤仁さん、吉田秀彦さん、近くは上川選手などごく少数で、現在、主流の内股は「跳ね腰」という別の原理の技、動作をしながら、脚のかかる位置が股の内側にあるという一点で「内股」と分類されている。これは「跳ね腰内股」という別の技術であって、そちらの方がかける機会が多く決まりやすいために試合では多数見られ、そういう内股しか見たことがない審判というのが海外などでは存在するはずである。井上康生監督、羽賀龍之介ら、東海大学系統の「豪快跳ね腰内股」が正統な内股だと思っている柔道関係者は多いと思う。違う。上川の形がいちばん美しく、かつての斎藤仁選手世界選手権での内股が、最も美しい。

 さて、大きく遠回りをして、立川の大内刈りの話に戻る。大内刈りというのは、「相手の足を、内側から同側の足で刈って、後ろに倒す」技として一般に理解されている。後ろに倒すので「押し倒す」技と思われている。だから「下がる相手にかける技」と思われている。本当は、全部違う。しかし、現在みられる大内刈りの99%は、こういう「違う原理」でかけられる。足を引っかけて、ケンケンしながら押し込んでいって、後ろに押し倒す。そうやって勢いをつけて豪快に倒れた時だけ一本になるが、そうでないときは「勢いが足りない」として技ありどまりになる。
 審判の技理解が間違っているから、本当の、今やめったに見ることのない本当の大内刈りが出た時に、何が起きたのかわからず、「捨て身技で自分から倒れたの?ならポイントなし」みたいな判断になってしまうのだ。
 今、ありがちな大内刈りは(逆組手の試合で多発されるが)足を刈ったら、もう一本の、着地している足の方に、相手をどんどん押していく、ケンケンしながらどんどん押していくと、相手は、どちらかというと、内股をかけられたような形で横倒しに回転しながら倒れる。順組手でも同様で、脚をかけて、ただ真後ろに押していく。
 本来の大内刈りは、脚をかけて、脚を横手前に引き出しながら、脚の着地していない方に重心をかけていく。自分の右足で相手の左足を刈ったならば、二人の足が宙に浮いて支えを失っているところに二人の重心を合わせて持っていくように動作する。と、真下に、垂直落下するように、相手が倒れる。大内刈りは、遠い後ろに相手を倒す技ではなく、真下に相手を叩き落すように倒す技なのだ。
 このような大内刈りを使える選手は、非常に少なく、女子ではかつて阿武教子選手などがいたが、最近はほとんど見ることがない。
 そんな中、立川選手は、(もちろん現代的な大内刈りも使うが)、古典的な、絶滅危惧種的に美しい大内刈りが使えるのである。ゴールデンスコア1分23秒の大内刈りは、まさにそのような決まり方をしているのだが、残念ながら、審判には、何が起きたのか、全く理解できなかったようである。

 さて、私がなぜ、大内刈りにここまでのこだわるのか。それは、長男の大内刈りが、本当に美しかったから。
 
 私の長男、この古典的な大内刈りの名手であった。大内刈りだけでなく、背負い投げ、内股、袖釣り込み腰、一本背負いという大技から、谷落とし、(今や足取り禁止で使われることのなくなった)踵返しなどの小技まで、それぞれの古典的本来的美しさと切れ味で、使うことができた。以前書いたような勉強との両立や桐蔭学園―桐蔭中等学校の分裂騒動の事情で高1はじめに柔道をやめてしまったが、中学3年までの段階での技術的完成度でいうと、かなりのものだった。(強さでも、神奈川県で準優勝、全国強化選手の英剛太郎選手と横浜市大会でも神奈川県大会でも、団体でも個人でも常に決勝を戦っていたので、弱くはなかったが)、技の理合いに則った美しい技を、「形の試合」ではなく、純粋に勝ち負けを競う勝負の中で出せる、という意味で、見ていて楽しい選手だった。
 もし、柔道の試合が、体操競技のように、技ごとに難易度点と実施完成度点が評価されていたら。もし、制限時間内に、何点取れるか、というような、サーフィン競技のような「採点得点競技」で行われていたなら、長男はオリンピックに行けたんじゃないかなあ。
そんな長男の大内刈りも、小中学校の試合では、大外刈や内股というわかりやすく「決まればたいてい一本」とは違って、ものすごくきれいに決まっても、たいてい有効か技ありどまりだったなあ。審判の判断基準が、大内刈りには厳しいんだよなあ。試合のたびに、息子の技の見事さと、審判の大内刈り評価の低さにいつもいつも腹を立てていた。そんな記憶を、昨日の立川新の試合が思い出させたのでした。

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柔道大好きおっさん

大内刈については全く同意します。藤井省太先生の背負いこそ、完全に釣込腰の術理ですね^^
by 柔道大好きおっさん (2020-02-01 08:16) 

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