介護人工子宮アイデアについて。NHKスペシャル人体で、タモリさんが子宮に入ったのを見て考えたこと。 [文学中年的、考えすぎ的、]

Facebookで書いたもの転載します。そもそもは、日経新聞の『16年の出生数、初の100万人割れ 出産適齢期の人口減 』という記事を読んで考えたこと。

時々、暴論シリーズ。思考実験だから、非常識なことを書きます。
 
団塊世代以降の、これから介護が必要になっていく近未来・老人世代は、人間に介護してもらうのをあきらめた方がいい。だって、介護を必要とする人数の方が、介護に従事できる人間より、ずっと多くなるんだから。
 それに、これから生まれてくる未来有為な人たちのほとんどを介護産業に従事させるわけにいかないでしょう。この前生まれたうちの孫を、私や私の妻や、その他老人たちを介護するためだけの人生にしたいか、というと、全然したくない。今、介護職に就いている人を誹謗中傷するつもりは全くなく、そこに本当に生きがいを感じてやってくださっている方には感謝するけれど。今、自分の老親や妻、夫を介護している方のこと、その介護の日々の中で、感じていらっしゃる様々な思いや感情を軽んじるつもりは全くないれど。しかしやはり、老人の介護というのは、社会全体の仕組みでも、個人の人生の中でみても、いろいろな意味の負担が重すぎる難しい仕事だと思う。
 これから貧しくなる日本に、外国人労働者を介護分野に来てもらおうと思ったって、誰も、どこの国からも来てくれないですよ。外国人労働者に頼るという発想もNG。
 そうしたら、人間に介護してもらわなくていいような技術を、今後10年以内に開発する必要がある。「介護ロボット」よりも、何かもうすこし大胆な発想の「介護テクノロジー」を。
 うちの奥さんは、自分が介護が必要な老人になった後は「トイレに住みたい」と言っている。(この前書いたように、妻はリハビリ科医師、患者さんのほとんどはかなりの高齢。週一回は、リハビリ科に勤務する前に、初めに勤務した、寝たきり老人多数の内科病院に勤務。高齢者、寝たきりの患者さんの様々な状態をお医者さんとして診てきた。その経験から思うことのようだ)。病院にも、病院に来る医療機器メーカーの人にもいつも言っているみたいだが、「トイレと風呂とベッドが一体になったようなもの」「体位転換や入浴、排泄が人間の介助なしで行えるようなもの」があれば、その方が自分が介護される側になった時にも、体も心理的にも楽だ。と言っている。
 排泄と食事と入浴が介護なしでできなくなった状態は、生理的側面で言うと、乳児状態に退行していくこと。ただし乳児と違うって厄介なのが)①赤ちゃんよりサイズがでかい。排泄物も量も多いし臭いし。風呂に入れるのも大変。服を着せかえるのも大変。床ずれ防止に体位を変えるのも大変。介護労働者はみんな腰を痛める。なので、寝たきりの人の栄養管理をする場合、体重が増えすぎないようにしないといけない。、②頭脳、知性、人格、記憶が、基本スタートラインが大人成人。そこから、知性・人格のどの部分がどれだけ退行しているか、していくかは人により大きく違う。(言い方を変えると、どういうめんどくさい老人になるかは人によって違う)③その「退行しつつも保持されている人格と知性」、プライドやできるはず、できないことが悲しい腹立たしいという気持ちについて、本人も葛藤するし、その葛藤を、介護する人にぶつけると摩擦が起きる。(介護する人にとっても、される人にとっても難しい問題)④意識が無い、喋れない、意思疎通コミュニケーションが取れない場合、介護する人は「赤ちゃんだと、だんだん成長し人間になっていく」希望を感じられるが、「人間的反応がない、コミュニケーションが取れない、回復の見込みがない」存在を世話し続けることに、意味を見出せずに精神的に追い詰められる人も出てきてしまう。(③と④は原因は異なるけれど、介護施設でときおり起きる虐待や、ひどい場合殺人事件の原因となる。川崎での介護士による投げ落とし殺人事件は③、老人ではないけれど、相模原の養護施設での大量殺人は、④が犯行動機の中心と思われる。)
 この暴論を書こうと思ったのは、実は、昨日のNHKスペシャル人体の、「赤ちゃん」の回。大きなサイズの子宮の模型を作って、そこに、胎盤とそこから伸びたへその緒をつけたタモリさんに入ってもらう、という演出をしていた。
 食事、排泄、入浴すべてにフルに介護が必要になった人が住む空間、妻が「トイレに住みたい」と言っている空間というのは、つまり「胎児が胎盤をつけてお母さんの子宮に収まっている状態」というのを、寝たきり老人向けに人工的に作ってあげるということなんじゃないのかな。と思ったわけ。タモリさんは、「なんか落ち着く」「子宮バーっていうのを作って、チューってウイスキーが吸えればもっといい」なんて言っていたけれど。羊水に浮いている状態、排泄の心配がない状態、栄養摂取が心配ない状態、そして映像デバイスが視聴覚か脳神経に直結していて、読書とか音楽を聴くとかテレビや映画を見るとかが、いつでも自由にできる。羊水内で弾ける楽器とか、羊水内でも絵が描けるとか、そういう技術も並行して開発する。
 胎児って、お母さんが音楽を聴けば、一緒に暴れるし、お母さんの声は聞こえるし。寝たきり状態になったら、胎児状態になって外界とぼんやりとコミュニケーションしながら、だんだん意識が覚醒している状態よりうつらうつらと寝ている、夢見ている時間が長くなって、老衰で死ぬっていうふうになれないかなあ。人工子宮に入って、そこから奥さんとコミュニケーション取ったら、なんとなく、奥さんの子宮にはいったみたいで、安心なんじゃないかなあ。他人に押し付ける気はないけれど、僕はそれがいいなあ。時間をゆっくりかけた安楽死、のようでもあるけれど。西部邁氏も、自分で自裁死しようとしても、体が不自由になった、誰かに手助けしてもらわなければ実行できず、その誰かを「自殺ほう助罪」に巻き込んでしまうという悲劇になりそうでしょう。そういうことなく、できるだけ人の手を煩わせずに赤ちゃんに戻って、死ねないかなあ。
 もう、あとはどうやって死ぬか、だけだもん、僕の人生でほんとうに重要なこと。
(追記 ここで書いた人工子宮回帰が、今いろいろ問題になっている「胃ろう」の発展形なんではないか、という感じもしてくる。胃ろう問題を「胃ろうをやめる」方向で解決するのではなく、「老人にとって幸せ、生きている満足、QOLが増大する方向に大幅進化させる、という発想なのかも、と思う。)
↓子宮に入ったタモリさんはこちら。まさに、トイレに住んでいるように見えません?
タモリさん子宮.jpg 追記2 Facebook上友人にも、今、リアルタイムで親御さんを介護している人もたくさんいるし、大変な介護を体験してきた方もたくさんいるし、中学同級生友人には、つい最近、介護士の資格をとって介護の仕事を始めた人もいる。現場でリアルに今、介護の真っただ中にいる方たちからご批判くるのでは、とは思いつつ書きました。何より一番身近な、たくさんの、何十人の担当老人入院患者を抱えている妻から、今朝一読後、いろいろ「現実はこういうこともこういうこともこういうこともある、単純すぎる、甘い」という厳しい意見たくさんもらったのですが、それでもあえてブログにアップしたのは。  あらゆることに対する僕のスタンスが、(コンサルタントって、現場の人の声は聴いたり、視察したりするけれど、その会社の人ではない、という立場だから自由に考えられることを自由に考える、ということなので、) 今、当事者でないがゆえの暴論の中に、何か、今は現実的ではないけれど、もうすこし先の、解決へのヒントはないか、誰か、トイレメーカーの人でも、医療機器開発の人でも、ばかばかしいと思わずに、読んでくれる人が出てこないかなあ、と思って、書きました。
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