読書記録『ある男』 平野 啓一郎 (著) を読んで。 [文学中年的、考えすぎ的、]

『ある男』 平野 啓一郎 (著)

 謎を追っていく小説であり、社会的問題を深く織り込んだ作品なのですが、しかし、その一番深くにあるものは、「人はなぜ、文学を、小説を読むのか」ということだと、私には思われた。最終章に、そのことが、この上もなく感動的に結実する。
 そこに至るまでは、謎解き興味で読みつないできたはずなのに、最終章、思いもかけず、ボロボロと泣いてしまいました。この小説の筋立て展開としてもそこは大変に感動的なのですが、私が泣いてしまったのは、小説、文学、読書ということについて私が考えてきたことと共感共鳴する考え方が、大変に美しいエピソードの中に語られていたためだろうと思います。

 ここ最近読んだ、日本の純文学小説としては、出色の出来と思いました。最近の日本文学の潮流通りに、震災後の、政治の右傾化に対する鋭い批判が大きな比重を占めて語られますが、そのことに、小説が押しつぶされていません。そうした社会的視点を多く盛り込みつつ、より深いテーマが見事に表現されています。
 「読んでいる間、他人の人生を生きる」という小説の本質をメタ構造として小説内に取り込みつつ、ある種の人間(読書家)にとっては、「文学が救いになる」ということ。人生の困難に立ち向かうために、文学がどうしても必要なものなのだということを美しく力強く描いています。

 間違いなく、純文学の力作ですので、その方向がお好きな方にはお薦め。エンターテイメントとしての小説が好き、という方には、「真面目すぎ」と感じられるかも。
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玉置浩二「GOLD」とカズオ・イシグロ『忘れらた巨人』。老夫婦の愛について。 [文学中年的、考えすぎ的、]

昨夜、玉置浩二のシンフォニックコンサート 上野 東京文化会館に、妻と聞きに行って。

 カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』という小説は、英国、円卓の騎士の時代を舞台に、主人公老夫婦が、行方不明になった息子を探しに、おそらくは人生最後になるであろう覚悟をして、二人で旅に出る話です。
玉置浩二さんの「GOLD」という歌もまた、老夫婦(おそらくは玉置浩二青田典子夫人)が、人生の最後の旅に旅立つ情景を描いた、この上もなく美しい曲です。

 というわけで、私は『忘れられた巨人』を読むと、「GOLD」が頭に流れ、「GOLD」を聴くと、『忘れられた巨人』のラストシーンの情景が頭の中に浮かび上がるのです。このふたつは、私の頭の中で深く結びついています。

 ある明け方、私は、ベッドの中でひそかにスマホのYouTubeで、玉置浩二さんのライブでの「GOLD」を聴きながら、感極まって一人でボロボロと泣いていると、妻が気がついて起きてしまい、「どうしたの?」というので、
 『忘れられた巨人』のあらすじを話して聞かせたうえで、「GOLD」を再生して、妻に聴かせました。すると、まあ、素直な妻は
「玉置さん、きっと、その小説を読んで、それでこの曲、書いたんだよねえ」と、そんなわけないやん、という感想を宣いました。しかし、妻がそう思うくらい、この小説とこの曲は、人生最後の旅に出る老夫婦の愛について、同じ情景、同じ情緒が、深く深く描かれた美しい作品なのです。

 その日、仕事から帰ってきた妻に、『忘れられた巨人』を、私の説明のあらすじではなく、最後の章だけでも、小説そのものを読んだ方がいいよ、と本を、ではなく、kindleの入ったパソコン画面を差し出すと、

 これまた素直な妻は、静かに読み始めるか、と思いきや
子供に本を読み聞かせるように、音読をし始めました。
「いや、眠いから、黙読していると寝ちゃいそうだから」
ということで、妻は、『忘れられた巨人』最終章を、まるまる、音読して、私に読み聞かせてくれました。私は、何度も何度もその部分は読んでいるのですが、妻に読み聞かせてもらうと、これはまた違う気持ちがするもので、胸がつぶれるような感動を覚えたのでした。

 昨日、上野の東京文化会館で、玉置浩二さんと東京フィルハーモニー交響楽団(指揮円光寺雅彦)のシンフォニックコンサートがあり、妻と二人で出かけました。
 この形式のコンサートはもう妻と一緒に4回目なので、目玉となる曲はだいたい予想がついていて、後半に代表曲を畳みかける展開になるのはわかっていたのですが、前半、どのような立ち上がり方をするかの予備知識はなく、コンサートは始まりました。
 コンサート、冒頭から三曲目(一曲目はオーケストラのみでしたので、玉置さん歌った二曲目)に、(私にとっては)不意打ちのように「GOLD」が始まりました。ここ最近、カズオ・イシグロについてずっと考えていた中で、妻と二人で出かけたコンサートで、生で聞く「GOLD」は、予想以上に深く私の心を揺さぶりました。玉置さんの歌声は、私の中の深い部分を直撃して、目を開けたまま涙がとめどなく流れ出し、からだが、ガタガタと、(誇張でなくガタガタと)震えだして、「どうしよう、まだ二曲目なのに、」と、自分のあまりの感動・反応の激しさに動揺していました。

 ところが。
「GOLD」が終わり、次の曲が始まると、妻が、急に「エヘン虫」に襲われたらしく、小さな声で咳をし始め、止まらなくなりました。
 玉置浩二さんのコンサートは、観客年齢が高く、だいたい私たち夫婦くらいの年齢が多く、さらにそうした年齢の娘が、80代とおぼしき母親を連れてくる、というパターンのお客さんもけっこういて、コンサート前には「補聴器のハウリング注意」アナウンスが何度も流れるし、曲前には「エヘン虫」にやられて咳こむ老人がたくさんいて、「高齢者が多いとしょうがないよねえ」と思っていたのが、なんと、わが妻が「エヘン虫」にやられて周囲にご迷惑!!と、私もすっかり動転してしまいました。が、妻はバッグからのど飴かガムかを、なんとかひっぱりだし口に入れて、静かになりました。

 この妻のエヘン虫騒動で、さきほどの「GOLD」での「身体に変調をきたすほどの異常な感動」は、どこかにすっ飛んで行き、そこからは、いつものように、「玉置さんの調子はどうかな、PAのバランスはどうかな、指揮者と玉置さんの関係はどうかな、」というようなことも観察しながら、コンサートを楽しむことになりました。もちろん、素晴らしいコンサートでした。

聴きどころ、盛り上がった曲が多数あるコンサートでしたが、「GOLD」にあそこまで感動したのは、数千人いた観客の中でも、私だけだったのではないかなあ、と思います。

 コンサート後は、ファンクラブ抽選に外れたときの予備のために一般予約でとっておいた三階席の券を、大学院生の娘とその友人に譲って、聴きに来てもらっていたので、彼女たちと一緒に上野で食事をする約束をしていました。上野公園から駅反対側に渡る歩道の上から、出待ちのファンの中を玉置さん夫婦の乗ったバンが出ていくのが見えました。空には、舞台の書割のような巨大な満月がかかっていて、GOLDの感動がまた蘇ってきました。

玉置さんの「GOLD」とカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』、どちらか一方だけしか知らない方、もう片方を、ちらとでも覗いてみてください。
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