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田中洋先生『ブランド戦略論』感想 [仕事関係]

『ブランド戦略論』田中洋著 有斐閣 2017/12/10

私は仕事関係で読んだ本についてブログを書いたことは今までなかったし、仕事についてもほとんど語ることはなかったのですが、この本について語ることは、私の今までとこれからについて語ることになると思うので、少し長くなりますが、書いてみようと思います。(実際とんでもなく長くなってしまいました。)
 私は、今やブラック企業の代表のようになってしまいましたが、日本最大の広告代理店、電通を入社三年で辞めた後も、99%は電通と仕事をしてきました。電通在籍時はクリエーティブ局でコピーライターとして配属されていたのですが全く才能もやる気も、様々な意味で適性がなかったので、独立後は、プレゼンテーションの前段、「戦略」、まあ、なんというか前説というか屁理屈というか、そういうものだけを書いてはプレゼンするという仕事を。かれこれもう三十年も続けてきたのです。
 私のやってきたことといえば、マーケティング戦略とか、ブランド戦略とか、名前は立派ですが、プレゼンのその都度、私の話の後に提案されるクリエーティブのプラン、TVCMの案や新聞広告の案が、あなたの企業の、この商品の課題(たくさん売れるとか、いい学生が集まるとか、なんとなく世の中からよく思われるとか)に、最適なものであると 応援する、納得させるというものです。提案するクリエーティブが、あまり面白くない時も、面白すぎるときも、広告主というのは不安になるものです。面白くなくて不安になるのは当然ですが、面白すぎるときも、「広告だけが話題になって商品が売れないんじゃないか」とか「このクリエーターが賞を取りたいだけじゃないか」とか、「わが社がふざけた面白企業だとおもわれてしまうんじゃないか」とか、いろいろと不安になるものなのです。また、広告主の広告担当の方というのは、自分が受けた提案を、プレゼンを聞いていない、役員や社長に報告しないといけない、という難しい役目を負っています。役員や社長に、その広告が面白いかどうかだけではなく、それでどう課題が解決されるのかを論理的に説明しないといけないわけで、そのためのお手伝いをする、というのが私の仕事であったのです。 
 はじめは行き当たりばったりにそうした仕事をしていたのですが、やはりきちんとした論理的、あるいは方法論的裏付けがないと、説得力というのはなかなか出てこない。そんな中で、私がものすごく頼った、使わせてもらった参考書というのが、三冊あって、その一冊目というのが、当時はまだ電通におられた田中洋先生と、丸岡吉人さんの共著『新広告心理』だったのです。広告において必要とされる理論と方法論が「体系的・網羅的」にまとまっているという意味では、いまだにこれ以上の本は無いと断言できます。特にお二人が開発されたラダリングという手法については、開発直後から実務で大活用させてもらい、膨大なデプスインタビューをしたり、駆け出しの私の修業時代の基礎となったのです。
 (ちなみにあと二冊は、電通同期の有賀君がIMCという概念を日本に初めて導入したドン・E. シュルツ ロバート・F. ロータボーン 『広告革命 米国に吹き荒れるIMC旋風』と、電通の5年ほど後輩で、今や執行役員にまでなっている石田茂氏と一橋大学の阿久津聡先生の共著『ブランド戦略シナリオ―コンテクスト・ブランディング 』です。広告屋が実務で使う上では、いまだに最強のメソッドはこの文脈(コンテクスト)ブランディングだと思っています。実はこの構造はラダリングの縦の梯子を横に寝かせたうえで、テクノロジーの進化やメディアの多様化に合わせて精緻化したものとも言えますので、『新広告心理』内のラダリング理論の直系の発展形が『コンテクスブランディング』だと私は勝手に考えています。)
丸岡さんとは具体的な実務の中でご一緒することがあり、面識もあったのですが、田中先生とは、私の人生の恩人(電通をやめてブラブラしていた私を拾って、救ってくれた)株式会社シナリオワークの創業者、故・岩崎さんの一周忌パーティで言葉を交わしたのが初めだったと記憶しています。昨年、ある企業の受付で、偶然ご一緒になり、ご挨拶したのが、二度目です。(私が日々、広告の仕事で通っている企業のブランド担当部長に、田中先生がヒアリングのため訪問されていたのでした。)
 リアル空間では、その程度しか言葉を交わしたことはないのですが、数年前から、Facebook上で「友だち」に なっていただいて、先生の投稿を拝見し、私の投稿にもコメントをいただく、という、Facebook上の交流では毎日のように言葉を交わしているという、いまどきな関係性に田中先生とはあります。Facebook上のやりとりのあり方というのが、私のこの『ブランド戦略論』への感想と深くリンクしてくるのです。
 私は守秘義務の関係からも、また私自身の関心の重心からも、仕事関係のつぶやき、投稿はほとんどしません。主に文学、思想、政治、スポーツ、音楽、テレビ番組などへの感想がほとんどです。そして、田中先生投稿も、硬軟とりまぜ非常に幅広い関心テーマについて投稿をされています。田中先生が、Facebook上で私の投稿に反応をいただけるのも、視野の広い、柔軟な関心からであろうと拝察しています。そして、このことこそが、この『ブランド戦略論』の最大の特質だと私は感じました。
 単に「関心の幅が広い」というのも、正確ではありません。ある年齢になってから私も特にその傾向が強くなっているのですが、狭い特定の専門分野を知りたい、極めたいという欲求よりも、「この世界全体の成り立ち」を理解したい、という欲求が日々強くなっています。死ぬ前に、世界全体について(時間空間のすべてのひろがりを、人間というものの全体を)理解したいという思いが強くなり、そういう問題意識で書かれた本に強く惹かれるようになっています。
 とはいえ、人間はある専門性を深めるように、仕事の、人生のキャリアを積むものです。その専門性が人格の一部になってきます。その専門性の方法論で世界を理解するようになっていきます。私で言えば、広告の実務で前説を書いてはプレゼンするという日々の仕事の中で、その専門性に適した「人格」が形成されています。その専門性から世界を理解するようになっていきます。
 田中先生は『ブランド戦略論』で、体系化を企図したと「序」で書かれています。「ブランド戦略」を体系的に語るということは、ブランド戦略という専門性内部で言えば、その全体を、論理的に網羅しつくそうという意図だと理解できますし、それはまさに成功されているわけですが。しかしまた。それを超える何かがこの本にあると感じました。それは、「ブランド戦略」という専門性を通して、この世界全体を理解したい、叙述したいという隠された意図、試みとしてもこの本は読める、ということです。
 私は実務家として今も細々として働いており、昨年末、ある企業から相談を受けました。さっそく、この本をお持ちして、「この本の中には、ブランド戦略を社内で立ち上げようとしたときに起きるであろう問題が完璧に網羅されています。部門間や立場によるブランドということへの定義や意義理解の違いにより、同じ「ブランド」という言葉を使っていても、話が通じないことが必ず起きますが、その症状は、この本の中でもれなく原因については解説されています」と紹介しました。ただし、その解決のための手法も、あまりに幅広く紹介されているので、抱えている課題に対して、どの手法で、具体的にどう解決するかについては、手法を割り切って絞り込む必要があります、と説明し、石田氏・阿久津氏の『コンテクストブランディング』の本も併せて紹介しました。
 この本のp163で紹介されているシュワルツの価値モデルにもあるように「博識」と「達成」というのは対極にある価値なので、体系化を極めたもの(全体をわかりきる)というものは、実務での課題解決への単純さとは相反するのです。(実務家で、この本の中から、今、自分が抱えている問題解決のための「ヒント」は得られても、その先、本当にどう解決するかは、それはまた別に、より具体的な手法を自分で探していかなければいけないのです。当然のことながら。)
 ブランド戦略を網羅的に分かり切りたい、語り切りたいという田中先生の狙いはまさに達成されていると感じましたし。さらに その先に、ブランド戦略を語りながら、この世界の構造や、人間というもののありようを理解しつくしたい、という驚くべき知的試みとしても成功していると感じました。
 個人的追記
 「交換」について語るということは、表面的には柄谷、ということですが、つまりはマルクスということだったりするわけで。最先端の脳科学認知科学の知見から、今は知的には流行遅れになりつつあるとみなされている記号論や、マルクスの視点までが、ブランド論を通じて語りなおされるというのは、読書の知的体験として大変にスリリングなものでした。
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