ラグビー「代表に外国人が多い」について、いろいろ考えたこと。

Facebook投稿その①

盛り上がっているから、あんまり表立っていう人もいなくなってきたけれど、ツイッターでは「ジャパンには外国人がたくさんいるけれど、ラグビー強豪国は自国選手ばかりなんでしょ」という人もいるので、「いや、強豪国の中心選手も、外国人がたくさんいる、それがラグビー」ということを書いておきます。

帰化して国籍を変えなくても、3年以上居住してその国のチームでプレーしていれば、代表になれる。それがラグビーなので、日本だけじゃないです、外国人が中心選手、チームに不可欠な存在になっているのは。

いやいや、NZのオールブラックスは、ニュージーランド人だけなんじゃない?って思っていませんか。
 NZの国自体が、白人と原住民マオリのほかに、サモア、トンガ、フィジーの移民がたくさんいる国なので、実は代表もその人たちの混合混成です。たとえば、南ア戦で10番のモウンガ。まさに司令塔なのですが、お父さんとお母さんが、それぞれトンガとサモアの出身です。

「イオアネ」という名前の選手、オーストラリアのかつての名ウイングや、今回は惜しくも選ばれなかったNZのウイング リコ・イオアネなど、いろんな国のチームにいますが、イオアネはサモアの名前。サモア出身だったり、サモア移民の子供だったりします。

欧州の強豪国は、というと、イングランドのプロップとナンバー8のヴニポラ二人は、トンガ系。生まれはそれぞれ豪州とNZ。センターのトゥイランギはサモアのラグビー一家の出身。中心メンバーにトンガやサモア系がガッツリいます。

そもそも監督のエディさんもオーストラリア人だしね。

オーストラリアの中心、大黒柱、9番のゲニアは、パプアニューギニア出身。彼とかつてコンビを組んだクーパーはなんとNZ出身。今回のセンター、ケレビはフィジー出身。オーストラリアも、結構、外国人と外国系がたくさんいます。

昨日のスコットランド、一見、白人ばっかりだから、自国民だけ?かというと、マイトランドはNZ出身。

NZ出身や、南ア出身の白人が、欧州の強豪国代表にも結構います。

居住し、プレーしている国の代表になるか、母国の代表になるか、いろいろな選択肢の中で、それぞれが選んで、決めたからには、その国の代表として全力を尽くす。それがラグビーの文化なのです。

「日本だけが外国人だらけ」ではなく、どの国も結構、外国人だらけ。(そうでないアルゼンチンなんかが珍しい方。)

知らなかったり、見分けがつかなかったりするだけ。
日本人には、NZのマオリ系の人と、トンガ人とサモア人とフィジー人、見分けがつかないでしょう。(実はフィジーだけ、ちょっと民族的に別系統なのだけど。)
欧州強豪国の代表に、NZや南ア出身の白人が混ざっていても、見分けられないでしょう。

日本で普段からプレーしてくれて、日本の代表になりたいという外国人の人がたくさん出てきたっていうこと自体が、日本のラグビーが世界ラグビー文化の中で認められてきた証明なの。だから、「外国人がたくさんいるから、日本が強いって言っていいの?」に対しては、胸を張って、日本のラグビーが強くなったんだって、言っていいんです。

それにつけても、人口がたった10万人しかいないトンガ、30万人のサモア、80万人のフィジーが、世界中の強豪国の中心選手に何人も選手を出しちゃっているの、気前がいいよなあ、と思いませんか。

トンガなんて、日本代表とイングランド代表とNZ代表から代表選手を引き上げてひとつのチームにしたら、世界一だって狙えそうなのにね。




Facebook投稿その②、上の投稿の続きで考えたこと・
どなたかの投稿で読んだのだけれど、元投稿が見つからないので、うろ覚え引用。さとなおくんかな。無断引用になっていたら、ごめん。

観客席で出会った、元プレーヤーだった海外のラグビーファンから、「ラグビーをやっている仲間は、世界中でひとつのラグビーファミリー。だから、試合が終わればノーサイド。」なるほどなと思った。

 ここから僕の感想と思ったこと。そもそもひとつのファミリーなんだから、「今、近くにいるファミリーでチームを作るのが自然。」それが国の代表の要件に、国籍が入っていない、根本精神なんだろうなと思う。国の代表というより、「今住んでいる地域の代表」。
 アイルランド代表が、ラグビーだけ「北アイルランド(UK、イギリスの一部)とアイルランド共和国の共同チームであり、試合の前に歌われるのも、共和国の国歌ではなく、ラグビー代表アンセム「アイルランド コール」なのもそういうこと。
 国じゃない。その地域にたまたま一緒にいるラグビーファミリーが地域代表として戦うのが、ラグビー。ワールドカップもその延長。

ファンだって、ラグビーを愛するひとつの家族だから、客席は両国のファンがごちゃまぜになって応援する。

 もちろん、ラグビーにだって、「国と国の、プライドをかけた激突」という側面はあるのだけれど、それと同時に「同じラグビーを愛する仲間」としての気持ちがある。むしろ後者が相対的に強い。後者をより、意図的に尊重する文化なのだ。

 僕の中にもスポーツを見るとき、応援するときに、「自国とか、ひいきのチームを応援する」というのと、「そのスポーツが好きだから見る、応援する」と気持ちが両方ある。
日本代表を応援していると、「自国応援」その気持ちに100%飲み込まれる、ということは、よくある。

 しかし、「日本代表を応援する」っていう気持ちしか無かったら、日本代表が敗退したら、その大会への興味はなくなってしまうけれど、ラグビーという競技が好き、ラグビーファミリーの一員になれば、日本代表が負けた後も、大会全部を楽しめる。

 入り口は、「日本代表を応援する」「自国チームが活躍している」でないと、普通の人は入ってこないけれど、そうやって興味を持った人の何割かが、「ラグビーを愛するひとつのファミリーの一員」になってくれると嬉しいなあと思うのである。

 話がぽんと飛んで、柔道の話。NHKスペシャルで阿部一二三、詩兄妹を取り上げて、うっちゃんなんちゃんが司会で、という番組が一月ほど前にあった。】
 なんちゃんは(おそらくは台本、演出での役割として振られていたのだと思うが)、「日本柔道は一本を取る柔道、外国のJUDOは、力で、技をかけさせない、反則を狙うJUDO」という、ふたつを対立させて理解するような意見を繰り返し言うのだ。今どき古臭いステロタイプな意見を言うなあ、と不満に思いながら見ていたところ、解説役で出てきた野村忠宏さんが、「外国の人も、きれいな一本を取りたい、美しい技をきめたいという気持ちで柔道をやっている、それへのあこがれはある」ということを、きちんと発言していて、胸のつかえがおりた気がした。
 嘉納治五郎先生だって、今、海外で柔道を広めている日本人コーチの人たちだって、みんな、美しい柔道、柔道の本質を広めようと努力している。いったんはその土地その国の伝統格闘技と融合して、さまざまなスタイルの柔道が世界に根を下ろした。そして今、youtubeなどで、世界中の柔道家が、美しい技のイメージを共有し、研究できる時代になった。
 最近の柔道の国際大会を、日本人の試合だけでなく、外国人選手の試合もきちんと見れば、びっくりするほど美しい技の柔道をする柔道家が、世界中に登場して活躍していることがわかる。
 柔道だから、日本ガンバレ、日本人が金メダル取れ、だけではない。世界中の柔道仲間が、素晴らしい、美しい、そして多様な形で進化させた柔道をしていること。嘉納先生が生きていて、その様子を見たならば、きっと喜ばれると思う。
 いや、しかし、あの、いだてんの嘉納先生(役所広司演じる)だと「日本柔道はそれでも勝て。負けちゃいかん」というかな。でも、「自分が創始した柔道が、世界中でこれだけ愛され発展していることがうれしい」どっちが強いかなあ。

 ラグビーも、柔道も、直接、相手の体に、攻撃的に働きかけることが競技の根幹をなしている。競技特性がそうであるからこそ、相手を尊重し、尊敬し、敵ではなく、ひとつの競技、武道を愛する仲間だという意識を優先していく文化が必要なのである。相手がいないと、競技はおろか、練習だってできない。ものすごく強く攻撃的であると同時に、相手に怪我をさせない、正しい動作を常に行い、理性的に気持ちをコントロールする。
 戦う相手すら、「敵」であるよりも「仲間である」と考える文化。その考え方は、どんなスポーツ、競技にも存在するが、最も激しく直接的に攻撃的であるがゆえに、最も強く「対戦相手も仲間であること」を優先させようとする文化。ラグビーと柔道に共通するもの、私がこれら競技を愛する理由。
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