『ホモ・デウス』と、アルゴリズム内蔵家電、ネオレスト君・ホットクック君・ルンバ君 [文学中年的、考えすぎ的、]

 家をリフォームして(妻が仕事に復帰して5年が経ち、家事の主担当が私になったので、私が家事をしやすいようにと、妻がリフォームをしてくれて、というのが正確な事情)、トイレがTOTOネオレスト最新型になった。トイレに入るたびにフタが自動でばかーんと開いて、用を足す前に汚れがつきにくいように、水がシャワっと噴霧される。用を足して立ち上がると、数秒後、自動で水を流し(座っていた時間で大か小かも自動で判断する。)、そのあとにウォシュレットのノズル部分を自動でシャパシャバと洗い、最後にきれい除菌水でノズルも便器も除菌する。あまりにおりこうさんなので、トイレに入るたびに、「おはよー」とか「こんばんわ」とかトイレに挨拶してしまう。なんといっても、ほとんどトイレ掃除をする必要がなくなった。(あ、もちろんときどきトイレクイックルでサラーとは拭くけど。ほとんど汚れてない。)
 
 リフォーム前後で妻が家の不要物整理をバッサリしてくれたおかげで、これまで床の上に散乱していたものがだいぶなくなった。ので、今まで「走る場所無いよね」と諦めていた自動掃除機ルンバを導入した。これが、もう、すごい。毎日13時になると、一人で掃除を始めてくれる。ダイニングテーブルの下にも器用に入って、椅子の足いっぽんずつのまわりも丁寧に掃除してくれる。階段からも落ちないし、もぐりこめないソファーの下も、なんとか掃除しようと体当たりし続けてくける。予想をはるかに上回る丁寧さと完璧主義的動作で掃除するだけではない。お掃除した後、お掃除したエリアの地図を自動作成してスマホに報告してくれる。地図は、私が部屋の間取りを入力したわけではなく、自動で掃除したエリアを地図にして報告するのである。完璧な議事録を自動作成してくれる優秀なスタッフ、みたいな感じである。妻も私も、「ルンバ君」と呼んで、もう愛してしまっている。
 
 調理家具も、シャープのヘルシオ・ホットクックという自動調理・圧力電気鍋みたいなものを導入した。食材を切って並べて、調味料をいれて、ふたをして、料理メニューを選択して、スタートボタンを押すと、料理ができる。内ブタに、「自動かきまぜ棒」的なアタッチメントがついているのと、料理種類によって、加熱時間や加熱強度を細かに設定してあるので、見事に作る。最後にひと手間必要な時も、音声で指示してくれる。例えばクリームシューのときは、できあがり5分前に「食材をとうにゅうしてください。」(牛乳を200ccc加える)と、ペッパー君的な声で指示してくれる。「もうすぐ出来上がりですよ」的なことも、かわいい声で言ってくれる。カレー、シチュー、鶏肉のカシューナッツ炒め、里芋の煮っころがしを作った(食材を気って並べたのは、私ではなく、妻ですが)が、今のところ全く失敗がない。あまりに失敗しないので、初め、妻はなんとなくご機嫌斜めだった。調味料を入れる順番とか、細かな下ごしらえとか、何十年も工夫学習してきた微妙な料理のノウハウを全部無視して「食材を切って調味料入れてスイッチオン」だけで、そこそこまあまあ文句ない料理になるのでは、私の今までの料理にかけてきた人生の時間をどうしてくれる、みたいに感じたようだった。妻はルンバ君とネオレスト君のことはすぐに溺愛するようになったが、ホットクック君のことを愛するには少し時間がかかった。いや、当初は少し憎んでいたように感じられた。「これで料理すると、コンロ周りが汚れなくていいいよね」という美点に気が付いて、ようやくかわいく思えてきたようだった。

 最近読んだ、話題のベストセラー『ホモ・デウス』ユヴァル・ノア・ハラリ著 では、人間というものは、あるいは、(生き物全般そうだが、)生命活動というのは、アルゴリズムであって、意識というのも、つまるところ生存のための行動選択をするためのアルゴリズムだという。上で述べた、最新の家電製品たちは、かなり高度なアルゴリズムを内蔵している。「トイレを清潔に保つ」とか「床を清掃する」とか「料理を作る」という特定の目的に対しては、(少なくとも素人の)人間を上回るアルゴリズムが内臓されている。もちろん、現段階ではそのアルゴリズムは、誰か人間がブログラミングしたものだが、近い将来、(囲碁ソフトなんかはすでにそうなっているが、)アルゴリズム自体を自己生成するようにAIは進化する。目的の設定だけ人間がすると、解決実行の手段はAIが勝手に作り出すようになる。

 今回、言いたかったのは、アルゴリズムを内蔵した家電製品に対して、私や妻は、「人格あるものに対するような態度や感情を持ってしまう」という発見についてなのだ。ヘルシオホットクックのようにしゃべるものだけではなく、無言でアルゴリズムによって複雑にふるまうネオレストに対しても、挨拶してしまったり、愛したりする、ルンバ君がエラーを起こして迷子になると、本当に子供が迷子になった時のように心配して、大声で「ルンバくーん、どこー」と家じゅう探し回ったりする。ヘルシオがあまりに上手に料理すると、嫉妬や憎しみさえ抱いたりする。

 アルゴリズム内蔵家電に対して、人格的に反応してしまうということは、やはり、「生命や意識の本質というのはアルゴリズムだ」という、ハラリ氏の言うことは、本当なのかもしれんなあ。そんなこと思いました。

 そういえば、ちょうど1年前に読んだ神林長平著『フォマルハウトの三つの燭台』という小説が、意識を持った家電たちとのトラブルをめぐるSFだった。読んだときはかなり先の未来のSF、絵空事だと思っていたけれど、もうすぐ、現実になりそうな気がしてきました。「自意識はもたなくても、アルゴリズムが高度化するだけで、人間側が勝手に機械・家電機器を人格として扱うようになる」という事態は、すでに世の中で広く起き始めているに違いない。
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