2つのNO、について考えた。その1。昔の友達の「読んだよ」の一言。 [文学中年的、考えすぎ的、]

 自立エネルギー計画の進捗報告ブログの方で予告した通り、私の初めのブログ、文章について、「きっとこういう否定的意見、感想、感情を持った人もいるだろうな」ということについて、数日間、考えたことを書きます。

 プロジェクトには基本賛成したうえで、「風力はうるさいから反対」とか「ガスタービンもうるさいし、CO2でるからダメ」というように、具体的方策について反対を直接言ってくださった方、は、私の中では「賛同してくださる、建設的助言者」と受け取っており、基本、YES、と言っていただいていると受け止めています。

 今回、実はいちばん堪えたのが、ある昔からの友人からの「読んだよ」という一言だけのコメントでした。賛成でも反対でもなく、読んだよ、という一言に彼女がこめた思い、というのを、ツィッターで知りうる、彼女とその旦那さんが今、やっている活動と合わせて考えると、それはやはり批判的意味をこめた「読んだよ」なんではないかなあ、と思い、考えました。
 今回、私が糸井さんに、このブログ読んでください、と勇気を出して言えたのは、実は今から28年近くも前、大学三年生から四年生にかけて、広告学校というコピーライター学校で、糸井さんの生徒だったという、はるか昔の、細いつながりがあったからです。そのときの糸井さんのはじめの授業というのは、もうぜったい忘れることのできない衝撃的なものだった、その思い出はまた今度書きますが。その友人、というのは、広告学校の同級生で、いちばんはじめに話をした相手で、同じ佐野元春ファンで、同じように小説家志望からスライドしてコピーライター学校に来ていて、という、すごく気が合う友人で。お互い別に恋人はいたし(私の場合は今の奥さんマツコデラックスですが)お互い「異性としてタイプなわけではない、のに気が合う友人」ということで、手紙のやりとり!20年前はメールなんてなかったのですね、は僕が結婚するまで続いていました。
 彼女は今も第一線のコピーライターなのですが、旦那様も同業界人ながら、特異な経歴をお持ちで、大型トラックの免許を持っていて、今回の震災後は、被災地に支援物資を自らトラックのハンドルを握って届ける、という活動をしているそうです。そして彼女もその応援をしつつ、被災地に送ったらいいものを日々考えたり、被災地の野菜を買って応援したり、と、「被災地の応援支援を具体的に行動する」という震災後の日々を送っているご夫婦なわけです。そういう彼女からしたら、「被災地、本当に大変なことになっているときに、何がおしゃれでぜいたくな自立エネルギーだ!。そんな金あったら被災地に支援しろい」という気持ちになったんではないかな、と思ったわけです。そういう気持ちが、一言だけ「読んだよ」というコメントだったんじゃあないかなあ。
 被災地が本当に大変なことになっていること。それに対して、何も具体的に行動していない自分。そのことが、心をすごく重くしている。放射能の不安や将来的危険はあるにせよ、今、この瞬間は安穏と生活している東京や相模原にいる人間が、被災地の現実ひどく困っている人たちのを助けることではなく、原発とエネルギーについてのふわふわした議論をしてはしゃいでいる。そのことってなんだろう。
 私は、そのことについては、ここで、あやまってしまいます。ごめんなさい。私、できないんです。家族が、とか仕事がとかいう具体的な理由でできないのではなく、考える心と頭の回路として、遠くで困ったことになっている人のことを知って、何が何でも助けに行こう、と思わないタイプの人間なのです。冷たい、卑怯者、と言われればその通りです。誰かが助けに行ってくれると「ありがとう」と思うし、僕しかいない、どうしても、となれば行くのかもしれないけれど、「何はさておいても、まっさきに人助けに走る」ということが、できない人間です。
 だから、僕のこのプロジェクトは、基本的に、「被災者を直接助けに行かない。行こうと思えば行けるのに行かない卑怯者として、何ができるか」ということである、というのは、事実なので、否定しません。だから「そんなふわふわしたことに付き合ってられるか、被災者に直接届くことをやるぞ」という方は、どうぞ、そちらを優先してください。でも、どういう心の仕組みなのか、そちらに一歩を踏み出せない人たち、というのがいて、動けない自分の弱さに、そのことに心がまた押しつぶされそうになっている人たちもまたたくさんいて。そういう人たちと一緒に、自分のできる範囲で、前に進んでいくプロジェクトとして、このことは進めていきたいと思います。現地のために働いてくれている、友達。だけじゃない、すべてのみなさんに感謝し、そこに直接かかわらない自分の弱さに恥じ入りつつ、自分のできることをやっていきたい。そのことは常に心の中にきちんとおいておきたい、そのための一言として、彼女の「読んだよ」は、大切なNoとして感謝。

 さて、もうひとつのNOは、政治的解決から逃げるな!というNO。原発の問題が政治的問題であるなら、どんなに逃げたって、政治的対決を経なければ解決しないだろう、というNO。これについてどう考えたかは、次回。

 
 
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ゆめか

ものすごく正直な心のうちをシェアしてくださってありがとうございます。
ともてとても共感できます。
私も、何ができるかわかりませんが、せめて、うぉたぷらねっとさんがされていることに対して私なりに精一杯応援させていただきたいなあと思います。
賛同できることはできるし、できないことはできないと、そう言わせていただきたいなあと思います。
余計なことでしたらごめんなさい^^;
ありがとうございました。
by ゆめか (2011-04-15 17:37) 

ko_bee_mana_boo

糸井さんからのツイート以来、読ませていただいております。
僕は、神戸で被災した経験があり、今回の震災後「現地にいって何かできないか」と思いながらも行動をおこせる状況でもなく、モヤモヤした日々を過ごしていました。
僕も、「できない」側です。でも、経済を動かす。今まで一度も考えたことがなかった電力のこと、社会のこと、未来の日本のエネルギーの在り方などを、考えながら、経済活動を行い、妻、娘、犬二匹、生まれてくる子供を支えていこうと思っております。
電力に関して、興味深いブログがありましたので、添付します。
そもそも、「二酸化炭素排出=地球温暖化」とは限らないということのようです。
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2011/04/post-be21.html
by ko_bee_mana_boo (2011-04-15 19:20) 

nippo225

@itoi_shigesatoの、1つ前のツイート「URL短縮のテストです。」から緊張感が伝わってきました。その割に、ホンチャンのツイートにはタイプミス?
プロジェクトの結果より、過程を楽しみにしています。焦らずに、のんびりと長く続けてほしいです。
by nippo225 (2011-04-16 00:13) 

おおはらたけし

今回もしっかり読みました。
他人の幸福は多少はわかるけど、他人の不幸は絶対にわからない、ということを昔から思っていました。なので、今回の件について、僕は、被災者の方々の大変さや辛さなど、わかるなんて少しも思っていないし、安易に頑張ってと言うこともできません。また、貴君のような行動もできていないし、東京電力の記者会見や孫正義さんや上杉隆さんの発信する情報を見ているだけです。一言でいえば、このような事態に対して、自分としてどう対処すべきなのか、考えるべきなのか、ただただ、モヤモヤしているばかりです。庄司薫的に言えば「書斎派」(言葉としてニュアンスが違うけど)に近いのかもしれませんが、世の中に対して当事者意識を感じていないということかな。多分、自分や自分の家族に対して何らかの脅威や危険が迫るような場合は、速攻で行動に出ると思いますが、どうも、そういう時じゃないと動きが鈍い、動かない人間なのです。おそらく、反体制的な行動をしても、体制とか反体制をひっくるめて、今のシステム(社会)が成り立っていて、何も変わらないという思いがあるのかなあ。でも、これって言い訳ですね。何か自分ができることをやる、というのが正しいと思います。ダメな僕です。

by おおはらたけし (2011-04-16 00:28) 

Az

具体的にすぐに被災者支援につながることは、もちろん大切です。すぐに動ける、動いてくれる人がいてくれることは素晴らしい。感謝します。
でも、みんながそうでなくてはならない、ということにはならないと思います。
いろんな人がいて、それぞれが、自分自身の持ち場で、自分自身で居られるやり方で、何かをすればいいのだと思っています。
「得点を上げるためにみんなが一丸とならなくては!」なんて言って、ゴールキーパーが、シュートのために敵のゴールへ走っていったら困りますよね。

大切なのは、一人一人が自分の足で立ち、自分らしさを失わず、自分の心の声に正直に生きていくこと。

それができていれば、直接的に「人の役に立つこと」ができなくてもかまわないとさえ思います。むしろ、誰もが、なにか「いいこと」をしなくてはならない、「正しいこと」をいわなくてはならない、と思いこまされるような空気にまきこまれないことが大切だと思っています。

でも私個人としては、これまで原発に関して「ノンポリ」を決め込んで声を上げてこなかったことで、今回のことに関しては自分も責めを負わなければならないと思っています。そして、もう、動かずに後悔するよりは、たとえ八方破れで後悔するとしても、動きたい、とも。
そう思って、いまもまだ、自分にしっくりくる方法を探しています。

そんなときにこのブログをみつけました。おなじ方向性を持っていると思えたことがとても嬉しかったです。
応援しています。

by Az (2011-04-16 18:36) 

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