日産はなんで日産ていうの? ルノーと日産、フランス政府と安倍さんの意地の張り合いになるのでは? [閲読注意]

都市伝説、「信じる信じないはあなた次第」の話として読んでね。JOC竹田会長をフランス政府が、というニュースが流れた翌日に書きました。公開しようかどうしようか、しばらく躊躇していましたが、今日、フランス政府がルノーと日産の経営統合を要求というニュースが流れたので、やっぱり公開することにしました。

「日産はなんで日産ていうの」

55年もぼーっと生きてきて、知らなかったことがいっぱいあるので、今になって知ってびっくりの知識をみなさんにも伝えていきます。知識の出どころは、当然のようにググる→wikiを見る、というのが中心です。学生のレポートにwikiはダメよって言われますが、これは学生のレポートじゃないので許してください。

 僕は1988年に電通大阪支社を入社三年で辞めて、東京にもどってきてぶらぶらしていた。そこをマーケティング会社シナリオワークの岩崎社長に拾われて、デスクをただで貸してもらい、東京電通の仕事を紹介してもらって、フリーランスとして東京の電通との仕事をはじめた。そのいちばん最初の仕事が、日産の仕事。
 当時はまだ日産の広告が博報堂一社独占になる前で、車種によって、電通、博報堂が扱いを分け合っていた。博報堂一社独占が発表になる前日まで、僕は電通チームとして日産にプレゼンをしていた。(電通の人間は、当然、誰一人、そんなことが起きるとは知らなかった。大事件でした)
 そんなお世話になった日産が、なんで「日産」という名前なのか、実は、今回のゴーン逮捕事件まで、全然知らなかった。今回、いろいろ調べて知った、日産の名前の由来。それが、「ゴーン逮捕」や、その他もろもろと、こんな関係があるんじゃないの、という話を書きました。

ゴーン会長の逮捕に関して、いくつか言われている疑問、ものの見方で
① ルノーはフランス国営会社、というか、フランス経済界の中心的代表企業なので、ゴーンさんをあんな風に逮捕して仮釈放も認めず、逮捕容疑小出しにしながらずーっと拘留し続けているのは、日本とフランスの外交関係にも悪影響を及ぼすんじゃないかと、と言われていた。
②ゴーンさん逮捕に関しては東京地検特捜部が動いており、東京地検特捜部といえば、政治がらみのややこしい事件を扱う部門ですから、これは経産省も官邸も了承済みで動いているんじゃないの、と言われている。
③そこで、注目されるのが、日産という企業のそもそもの成り立ち。ということで、ここからwiki参照、となるわけですが。
日産の創業者は鮎川義介。以下鮎川義介のWikipediaから引用
「1928年(昭和3年)、義弟・久原房之助の経営する久原鉱業の社長に就任し、同社を日本産業(日産)と改称。久原鉱業は、当時は、第一次世界大戦後の恐慌と久原の政界入りで経営破綻に瀕していた。立憲政友会の田中義一(元陸軍大将)らの再建の懇請に鮎川は渋々応じた。会社を持株会社に変更し、公開持株会社として傘下に、日産自動車・日本鉱業(同年12月、日本産業株式会社に社名変更)・日立製作所・日産化学・日本油脂・日本冷蔵・日本炭鉱・日産火災・日産生命など多数の企業を収め、日産コンツェルンを形成。
1934年(昭和9年)、自動車製造株式会社を日産自動車製造株式会社と改称。同年『ドイツ系ユダヤ人五万人の満洲移住計画について』と題する論文を発表。5万人のドイツ系ユダヤ人を満州に受け入れ、同時にユダヤ系アメリカ資本の誘致を行うことにより、満州の開発を促進させると共に、同地をソビエト連邦(ソ連)に対する防壁とする構想を、ユダヤ専門家として知られる陸軍大佐・安江仙弘[注釈 2]、海軍大佐・犬塚惟重、関東軍のいわゆる「大陸派」(満州進出を求めた多くの軍閥)に立案した(のち河豚計画へと展開する)。これにより、関東軍の後ろ盾を得る。南満州鉄道(満鉄)の理事だった松岡洋右[注釈 3]ものちに河豚計画に参加。
1937年(昭和12年)、野口遵、森矗昶など当時の「財界新人三羽烏」の一人として[6]、満州国の経済運営で巨大な満鉄が影響力を持つことを嫌った関東軍の求めに応じ日本産業を満州国に移し、満州重工業開発株式会社(満業)として初代総裁・相談役に就任。同時に満州国顧問・貴族院勅撰議員・内閣顧問を兼務した。当時の満州国の軍・官・財界の実力者弐キ参スケの1人とされた。弐キ参スケとは東條英機(関東軍参謀長)・星野直樹(国務院総務長官)、鮎川義介、岸信介(総務庁次長)、松岡洋右(満鉄総裁)である。鮎川・岸・松岡の3人は満州三角同盟とも称された。」
じゃーん、ということで、満州における国策会社「日本産業」が、日産の前身なんですね。岸信介と鮎川義介、満州のサンスケのうちのお二人さんだったのです。
さらに言えば、鮎川さんは
明治13年(1880年)、旧長州藩士・鮎川弥八(第10代当主)を父とし、明治の元勲・井上馨の姪を母として山口県吉敷郡大内村(現在の山口市大内地区)に生まれた。
そう、岸→安倍首相地元、長州人脈の一人。長州→満州いらいの長く深い縁があるのが、日産自動車なんですね。
つまり、ルノーがフランス国営国策会社であるのと同様、岸→安倍家的に言うと、日産は、縁の深い満州国策企業の中心的存在なんですね。
 ゴーンさんがフランス国策企業ルノーの代表として、日産をフランスのものにしてしまおうという流れに対して、日本という国として、満州以来の国家代表企業、日産を守りたい、という動き、その対決という見方をする人がいるようです。
 もちろん、「つながり」については特に根拠もない都市伝説です。今のところ。ただし、日産の起源が満州国策会社なのは事実。岸信介と鮎川義介に深いつながりがあったのも事実。

 なんて思っていたら、昨夜のこと。
JOC竹田恆和氏を、フランスが調査、訴追か、というニュースが流れ、これがゴーンさん逮捕長期拘留の意趣返しでは、という憶測が一部に流れたのですが。単なる憶測ではあるわけですが、
 竹田恆和氏の息子さんといえば、ご存知、「明治天皇の玄孫」右翼文化人として有名な竹田 恒泰氏。その竹田恒泰氏が、ツイッターでこんな発言をして話題になっています。「JOCの案件は2年以上前から捜査されていて、結局犯罪を証明するものはまだ何も出ていない。この時期にフランスがこれを蒸し返してきたということは、ゴーン逮捕の報復と見るのが普通だろう。」
 ところで、今晩第二回目放送の、NHK大河ドラマ「韋駄天」は、戦前の幻の東京オリンピック招致前夜を舞台にした「オリンピック盛り上げドラマ」なわけですが。(宮藤官九郎脚本で、僕はクドカンファンなので、第一回目もおおいにたのしんだわけですが、)。
 竹田家。オリンピックとのかかわりは竹田恆和氏のお父さん、竹田恒徳(宮)も、なんとJOC会長にしてIOC委員。1964年東京オリンピックの時のJOC会長なんですね。JOC会長、世襲されている!というのもびっくりであります。ぼーっと生きてきたので知らなかった。
 そして、この竹田恒徳(宮)も、実は満州人脈のおひとりなんですね。満州の軍隊と言えば、関東軍なわけですが、1943年から1945年7月という、終戦間際までなんと関東軍の参謀をしていたのです。もっといろいろ深い話は興味を持たれたらお調べください。どんな部隊に関わっていたかを知ると、歴史の闇を思い知ります。相当本当にいろいろ怖いです。
 JOC会長竹田氏フランスが捜査、というニュースが、満州人脈の話とつながるんですね。満州人脈、つまり岸信介、安倍総理のおじいさんと。そして、東京オリンピックは安倍総理何よりこだわりの、そこまでなんとしても日本の総理でいたいという、イベントなわけです。
 東京地検特捜部が動いてゴーン逮捕 日産といえばもともと満州の国策企業。フランスと日本(支配層旧満州人脈)の意地の張り合いか?と言ってたら、突然の、「フランスがJOC竹田会長を捜査」ニュース。その竹田氏のお父上もJOC会長だっただけでもびっくりなのに、元満州関東軍参謀、つまり岸信介と深いつながりのお方とわかり、二度びっくり。
 なんていうのは、ただの考えすぎ。このふたつの事件には、何のつながりもなくて、それぞれ独立した経済事件と、オリンピック招致がらみの買収疑惑事件、だとすると・・・・
 存在もしない「陰謀論」を類推させてしまうほど濃く、旧満州支配層という狭い深い人脈が、戦後70年たっても、日本の上層部に脈々とつながっているということになりますね。その方が、もっとびっくりかもしれません。








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