『波』 ソナーリ・デラニヤガラ 著 佐藤澄子 訳 を読んで [文学中年的、考えすぎ的、]

 大学の学部学科(国文学科近現代専攻)以来の友人、佐藤澄子さんが、初めて翻訳した本なので、読んだ。出版当日に買って、できるだけ早く読んで、感想を伝えようと思ったのだが、なかなか、そうそう、すいすいと読める本ではなかった。私にとっては。

 読み進まなかった理由は、翻訳が、どうこうということでは全くない。佐藤澄子の翻訳、どんなかな、という意識は初めの2,3ページを読むうちに消えた。
 
 2004年のインドネシア大地震の津波で、二人の幼い子供と夫と両親を一度に失い、自分だけが生き残ったスリランカ人の女性、経済学者の、回想録なのだが。

 私は、本を、「自分に引き寄せて」読むタイプの人間だ。自分の外側にある「エンターテイメント」とか「有用な情報」というような意識で本を読むことができない。自分の中にある何か、問題意識とか価値観とか記憶とか、そういうものと本を響き合わせて読む。そういう読み方しかできない。自分と隔絶した体験や世界について書かれた本も、自分の中の何かと響きあう、それに意識が向いてしまう。

 この本を、「津波で愛する人を失うという、自分にない、普通にない経験をした人の回想録である」というふうに(だけ)、私は読むことができなかった。

 子育ての幸福な記憶と、子供を失うことの間の関係の話、として読んでしまう。それは、私の中の様々な記憶と体験を呼び起こし、1ページごとに立ちどまり、心を彷徨わせてしまう。なかなか本を読み進めないのである。

 あ、誤解されそうだが、私は子供を幸運なことに失ってはいない。六人全員、健在である。

それどころか、もうすぐ56歳になろうとしているのに、愛する身近な血縁の死、というものを未だ体験していない。妻も六人の子供も両親も、姉と妹も健在だ。
 祖父母はもちろん全員亡くなっているが、私は東京で、核家族で育ち、祖父母は二組とも遠い北海道にいた。祖父母とは年に1回、ほんの数日顔を合わせるだけの関係だったから、どの祖父母とも深い感情的つながりをもつほどの交流は無かった。「父母」の悲しみを通して祖父母の死を感じる、という体験・記憶しか残っていない。祖父母を失ったことが、ダイレクトに悲しい、という体験ではなかった。父が寂しそうだな。母が悲しんでいるな。そういう体験だった。

姉の夫が早くにがんで亡くなったが、あくまで姉の配偶者である。姉の悲しみ、甥っ子たちの悲しみは見てきたが、私と義理の兄の間に、「深い人間的交流」があったわけではない。妻の母親も亡くなっているが、その体験というのは、「母を失った妻の悲しみ」を夫として見守ってきた体験、というのが正しく、私と義理の母の間に、深い心の交流があったことはない。義理の母を失ってダイレクトに私が悲しい、という体験ではなかった。
(思い返しても、仕事人生で私を助け導いてくれた恩人の死、というのが、いままで生きてきた中の死の体験では、いちばんショックが大きかった。血縁での死で言えば、母の弟、叔父の死のショックがいちばん大きい。それはしかし「愛する人の死」というよりは「尊敬したり、人生の志の先を歩む人の死」という種類のショックなのだ。やはり人生56年も生きてきて、愛する近親者の死を、私は体験していないのである。それは本当に幸運なことなのだと思うし、また「愛する者、と感じられる深い心のつながり」を、ものすごく近い家族=妻・こども、両親、姉・妹としか築かずに生きてきた、ということなのだ、と改めて、わかる。)

 私には、妻とともに、六人の子供を育ててきたことの記憶が、ものすごい量、蓄積している。六人という子供の数もあるが、私は、仕事よりも子供とともに過ごすことを何より優先して人生を送ってきた。
(善き父だったというつもりはない。むしろ私の子育ては「星一徹が星飛雄馬をしごき鍛える」ように子供たちに接してきた。全く誇張ではなく、私の子育てはまさに星一徹の星飛雄馬育てそのものだった。大リーグボール養成ギブスを子供たちに着せて、卓袱台をひっくり返して、子育てをした。鍛えたのは、野球ではなく、勉強と柔道と音楽と文学、という、自分が愛し、かつ夢をかなえられなかった領域において。そしてその子育ては、今の価値観で言えば、間違いなくひどい虐待であった。無関心や憎しみで虐待するのではなく、過剰な一体化と期待とで子供たちを傷つけたことは、私の人生のいちばん大きな傷なのだ。そういう子育てをしたからこそ、私の記憶のほとんどは、濃く子供たちの記憶で塗りこめられている)

 そんな私でも、子供が本当に幼い時、というのは、そのような星一徹的葛藤とはまだ無縁の、ただひたすらに子供をかわいがる、子供との時をただひたすら愛おしむ、そういう時間があった。子育てには、そういう「夢のように幸福な時期・時間」というものがある。

「波」の著者は、その「夢のように幸福な子育ての時期の真っただ中」で、津波に遭遇し、すべてを奪われる。

ちょうどこの本を読み始める前日、地元のJR横浜線の電車に乗っていたときのこと。隣の席に、二歳から三歳になろうとするくらいの幼い男の子と、まだ30歳になっていないだろう若い父親が座っていた。男の子は電車のアナウンスがだいすきらしく「次はコブチ、コブチ、有楽町線、日比谷線ご利用の方はお乗り換えです。」などと、ふだんは都内で地下鉄にのっているらしく聞き覚えた乗り換えアナウンスを、かわいらしい声で、ずいぶんと流ちょうに繰り返しては、楽しそうに笑っていた。父親は、いつも子供の世話を細やかにやいているのだろう。それは子供が父親と二人で外出していても、リラックスして、安心して、イキイキとしている様子から、わかる。「ねえ、どっちのドアから降りるの」などと言いながら、親子は手をつないで降りていった。

 私は心の中で「今が人生でいちばん幸せな時なんだよ。大事にしろ。本当に大事に心に刻んでおけよー」と、その若いお父さんに声をかけた。小さな息子の小さな手を握って歩くこと。息子が、お父さんのことを100%信頼して、安心して楽しそうにしていること。その声の響き。握った掌の小ささ、温かさ、柔らかさ。そういうものは、ほんの数年もすると、失われていく。本当に限られた時期の,貴いものなのだ。
もうすこし大きくなり、勉強だの習い事だの、勝ち負けのある何かに、子を参加させていく。勝たせようとする。そういう関わりをする中で、だんだん「ただただ、かわいがる」だけではないものに親子の関係も変わっていく。そういう親に、子も反抗する。やがて、思春期が来て、親の期待とは違う方向に、子は自分の道を見つけ、自立していく。愛する人を見つけ、結婚し、別の家庭を構える。
年に数回しか顔を合わせなくなる。そうなっても、もちろん、子供はかわいい。しかし、あの、幼い時の、あの小さな温かい掌の、きんきんした声の、あの小さな子供は、大人になった我が子の中に面影として残っているだけになる。もう、触ることはできない。

 家の中には、子供たちそれぞれの育った過程の記憶のしみついた、いろいろなものが残っている。小さかった子供はいなくなり、家の中に、一人でいる時間が増える。何を見ても、ふと、小さかった時の子供のことが思い返される。

妻との記憶は、そういう子供の記憶と絡まりあって出てくる分量が多い。私たち夫婦は高校の同級生なので、子供ができる前の、付き合い始めから結婚初めの期間というのも、それなりの記憶の分量があるはずなのだが。「妻と一対一で向き合っている」記憶よりも、「ともに子供たちを見つめ、育てている同志」としての記憶の方が、圧倒的に分量として多いし濃いし重たい。

この本の中でも、記述されている分量で言うと、「子供の記憶」>「子供と絡まった夫の記憶」>かなり少なく「両親の記憶」として記述されている。これは、なんというか、本当にそういうものだと思う。(夫とのなれそめは、本の最後の方に、一章をさいて書かれている。他の章が、現在の特定の場所や具体的なモノから自然に思い出されるエピソードなのだが、子供が登場する前の、夫とのなれそめ章は、「本にするのだから、夫とのなれそめも
ちゃんとまとめておいてあげないとね」というような書かれ方をしている。子供、夫、両親、同時に失った大切な家族であっても、それは人の自然な感情として、質の違いがあるのだということを、私は当然の、むしろ好ましいこととして感じる。この本にはそういう正直さがある。)


 我が家の場合、まだ中学生一人、大学生一人が同居しているし、妻もフルタイムで働きはじめ顔を合わせる時間も子育て時期よりは短くなったとはいえ、ちゃんと毎日一緒に仲良く暮らしている。私は全然独りぼっちではない。ようやく「いまどきの標準サイズの家庭」になっただけなので、実はまだそんな思い出ばかりに浸っているわけではないのだが。

 しかしこの『波』を読んでいると、この世にきちんと生きているのだが、我が家、私の生活圏からは旅立ってしまった子供たちの、幼い日のことが、胸を突いて呼び起こされてくる。

 そして、「もし、あの幸せの真っただ中で、突然にすべてを奪い去られたら、自分はどうなっていたのだろう」ということを考える。いや、考えたくないと思う。今までのところ、そうならなくてよかった、これからもそんなことが起きないでほしいと思いながら。

 生きて自立してどこかで幸せに暮らしていることと、突然死んでしまってもう二度と会うことができないことは、全然違う。当然、全然違うので、その違いを、普通なら、この本では読むべきなのだろう。

自分だけが生き残り、生き続けていくという特異な体験のもたらす感情。その変化のプロセス。現実からも、記憶からも眼をそらせ、呼び覚まさないように注意を払い、自分を消してしまおうとする。激しい怒り。自責の念。何か大きな間違いだ。本当の絶望に直面した人の、固有で稀有な体験。もちろん、そのことも、この本からは伝わってくる。自分の人生には今のところ起きていていない、異様な重い体験として伝わってくる。

しかし、私は、その部分、『特異で自分には起きていないこと』の側面を入り口にしては、この本を読まなかった。
 自分にも起きていること。自分の生活の中にあること。そちらを入り口にして、「起きていない異様なこと」に想像を馳せる。そういう読み方をした。

 子供を育てる、幼い子供とともに生きることの幸せな体験と、それが、自分のもとから去っていったときに、それを思い出して、心の中で、再びともに生きることの切なさ美しさというものの側から、私はこの本を読んだ。私のぼんやりした日常の中のぼんやりした心の動きの中にも、共通して存在する、そうした人間の心の動きを、極限まで研ぎ澄ました形で文章にしたもの。
 私が日々、心に留めずに流れ去らせてしまっているひとつひとつのもの、小さなエピソード、そうしたものが、すべてどれほど掛け替えのない、いとおしいものであるか。

 大災害で、一瞬で家族全員を失ったことによる、普通には起きない深い心の傷、損なわれ方と、子供の自然な成長と自立で訪れる孤独と喪失は、全然、違う。たしかに違うのだけれど、その底には、つながるものがあるのだ。
 
この本の、この著者の素晴らしさは、とても些細な細部に呼び起こされる記憶が、どれもこの上なく切実である。それがここまで正確に記述されていることが、奇跡的なのだと思う。この本は発表をするためではなく、心の傷を癒すためのカウンセリングの一環として書かれ始めたものだと本の最後、あとがきで明かされて納得する。思い出し、書くことで、なんとか自分だけが生き続けていくことを受け入れていく。

それは大災害の生き残りの人間だけではなく、子育ても仕事も自分の元から去っていき、それでもまだ肉体的には死なないという、人生の終了に向けてぼんやりと立ち尽くしている私にとっても、無関係なことではないのだよ。

 佐藤さん、そういう風に、私はこの本は読みました。翻訳の良しあしのことを考えずに、著者の心の動きに寄り添って読み通せたというのは、それは、良い翻訳なのだと思います。



感想、その②

すこし、違う視点で、なんというか、本の中に入って著者に共感して、という立場ではなく、この本が出版され、読まれる、日本のこの社会、という俯瞰的鳥瞰的視点で、考えたこと、できれば佐藤さんに聞いてみたい、話してみたいことを書いてみる。

俯瞰的、鳥瞰的といいつつも、それは、ずいぶん長いこと、僕を悩ませてきた問題なのだが。

 友人が僕を誰かに紹介する場合、まずは「子だくさん」という特徴が伝達される。「五人だったっけ、え、六人! 前に聞いた時より増えたね」なんていう会話だ。

 そして、僕の親しい友人、高学歴でリベラルな友人たちの集まりでは、結婚していない人、離婚して今はシングルの人、結婚しても子供を持たない主義の人、子供が欲しくて不妊治療をしたができずに子供をあきらめた人、一人か二人の、いまどき標準的な数の子供を大切に育てている人、というのが、まあほどよくミックスされているわけだ。そんな中で、誰から見ても、僕は異常値なのだ。結婚や子育てに関わる文学や社会問題について、僕が考えること、感じることは、どうも、世の中の標準から大きく外れているのではないか。僕のような世の中の標準から外れた人間が、この問題に関わることで不用意に意見を表明することは、多くの人を傷つけたり反感を持たれたり、すくなくとも、全く共感されないことなのではないか。「少子化問題」が議論されたりするときに、僕にはすごくたくさん言いたいことはあるのだけれど、どうも、思ったままを言ってはいけないような気がする。内心にとどめておいた方が良いような気がする。なぜなら、僕は、いろいろな意味で、あまりに恵まれているから。

『波』の著者は、津波に遭うまで、本の帯にある通り「すべてをもっていた」のだ。知的な職業。同じく知的な職業についている優しい夫。家事も子育ても平等に参加してくれる。そしてかわいい子供が二人。夫の両親家族も、自分の両親家族も、自分たち夫婦とその子どもたちをかわいがってくれる。ロンドンで生活し、スリランカに長期休暇に訪れる。ロンドンには、同じような恵まれた境遇で、同じ年齢の子供を持つママ友家族がいる。経済的にも子育てについても、なんの不安も不満もなく、幸せな毎日の日常が続いていた。

 この「すべてを持っていた」著者が、「愛する子供と夫と両親を奪われる」という状況なので、奪われた生活の細部を思い出していく、文章にしていくというものが、文学(もともとは文学、他者が読むことを想定せずに書かれたとしても、その価値がある文章表現)として成り立つ。という意地悪な見方というのが、成り立つ。
 どう意地悪か、と言うと、もしすべてを奪われておらず、すべてを持っている段階の彼女が、その生活の中で、ここで「思い出している」生活の細部、幸福の断片を「幸せ実況生中継」として、いちいち文章に書いて発表していたら・・・、それは日本の「子育て芸能人タレント夫婦のブログ」みたいなもので、「自慢か?」と言われるものなのではないか?
文句のつけようのない知的で裕福で幸せに満ちた日常なのだ。その幸福がどれほど本人には真実でかけがえのないものだとしても、それは世の中に発信してはいけない、ひっそり本人の心のうちにしまってかみしめているべきことなのではないか。こうした子育て生活の細やかなディテールが、文章として世の中に発信できるのは、それが「突如失われたもの」として、回想として書かれているから。損なわれた心を回復するためのカウンセリングの一環として書かれたものだから。

 「持っていたものが奪われる」というところに、文学(無関係な不特定の他者が読む価値のある言語表現)は成立するのだけれど、現実に生きる人は、「そもそも持っていない。あらかじめ奪われている」という日常を生きている人の方が圧倒的に多い。そのような「あらかじめ奪われている人たち」が読んだとき、この「一度、すべてを持ち、そして奪われる」という体験談は、どのように響くのだろう。

結婚、子供を持つ、子育てをする、ということに対して、この小説への反応が全く違いそうな、価値観や現状のステイタス、パターンをいくつか挙げてみる。完全に網羅はできないけれど、ずいぶん違う立場の人が、この本を読むだろう。

① 高収入・知的な共働きで、子供を育てる幸せ真っ最中の若夫婦。(奪われていない段階の筆者と同境遇の人)
② 何も奪われないまま、子供が育って、子育てが終了しつつあり、思い出に囲まれて寂しくなりつつある人。(僕のことだ。)
③ 津波や突然の災害や病気・事故などで、幸福の絶頂で突然、子供や夫を奪われた類似の体験がある人。(筆者と同種の体験を、程度の差こそあれした人)
④ 子供を育てることの喜び、幸せを渇望しているのに子供に恵まれない女性。(子育ての喜びから、というか、子育てという人生のステップから、あらかじめ疎外されている人)
⑤ 貧困や夫の無理解の中で、子育てが苦行にしか思えなかったり、子供を愛することができないという苦しみに直面している人。(子育ての「喜び」から疎外されている人。)
⑥ 結婚していても、子供に興味がない、子供が欲しくない、子供以外のこと、仕事や夫婦二人の生活や趣味や社会貢献活動などに十分な生きがいを感じている人。(子育てを喜びとはそもそも考えない、選択しない人)
⑦ 結婚や子供を望んでいるが、様々な理由で、その機会に恵まれず、単身で暮らしている人。(結婚自体から疎外されている人)
⑧ 結婚も、ましてや子供を持つことも望まず、単身を好きで選んで生きている人。(結婚自体を幸福の条件と考えない人)


③の人は、自分の体験と照らし合わせながら、救われたり、自分とは違うと思ったり、いろいろと、体験者としての感想を持つのだろう。
子育ての幸せを現在・または過去において体験している①や②の立場の人には、それを失った場合に自分にも起きること、起きたかもしれないことと照らし合わせて、この本の内容が激しく心に刺さると思う。今の自分を大切にしようと思うだろう。
⑤の、子育てが苦しい人は、「もし失ったら、」というこの本を読んで、今は苦痛に思える子育ての細々した苦労が、かけがえのないものだ、と気づけるかもしれない。

さて、④の、子供が欲しくてできない人からみると、この話は、どんなふうに読めるのだろう。⑥の子供を望まない人には、どんな風にこの話は響くのだろう。⑦の、結婚や子供を望んでもそこにたどり着けない人にはこれほどの苦しみも、贅沢に聞こえるのだろうか。⑧の結婚も子供も望まない人から見ると、「失って苦しむような家族を持つこと」自体が愚かな選択に見えるのだろうか。

僕は、医師の妻を持ち、子供を六人持ち、事故や病気や災害に今までのところ、幸運にも遭わず、経済的にも、(今はいささか破綻しつつはあるが、)なんとかここまでやってきた、「すべてがある」状態で、子供が育ちあがり、自立して離れていく、という「幸福で寂しい」人生の終わりに入りつつある人間として、「それが途中で奪われた人の話」を読んだわけだ。そんな贅沢な僕の感想というのが、この本への評価として、一般性を持ちうるのかどうか、ということが、よく分からない。

「子育てを中心とした家族の幸せ」が「奪われる」、それを思い出して書くということを通して受容していく。という基本枠組み自体が、どの程度の共感幅を持ちうるのか。今の日本の社会の変質(というか、個人的には劣化だと思うのだが)の中で、この本が、誰に、どのように受容されるのかしら。そんなことも、読みながら、考えました。

※ちょうど本を読んでいる最中に、NHKBSハイビジョン103で、紅茶に関連したドキュメンタリーを何本か続けて再放送していて、ひとつがスリランカのヌラワエリアの茶園、そこで働く人たちのドキュメンタリーでした。コロンボの街や、スリランカの子供たち、様々な階層の人たちが描かれていました。かわいい保育園児たちの様子も描かれていたり、大卒で茶園の監督官になった女性の、利発そうな子供たちも登場し、著者の子供たちも、こんなかわいい子供だったのだろうかしら、と思いました。
一方で著者が、スリランカの中では知的にも経済的にも最上位の階級に属する人であること、そういう「持てる人が失う」という、この本の持つ基本性格について、そのドキュメンタリーを見ていて、改めて気づきました。知的経済的にいかに高い地位にあっても、悲惨な体験であることに変わりはないし、知的な人だからこそ言語表現にし得たので、そのこと自体に何か批判的な視線を持ったわけではありません。ただ、あの津波では「文学的言語を持たずに、体験を表現することもないが、同じような悲惨な体験をした人たち」が何万人もいたのだ、ということも、考えました。

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