今年の読書記録 『岩場の上から』 黒川創 (著) ベテラン作家評論家の焦燥感について。 [文学中年的、考えすぎ的、]

『岩場の上から』 黒川創 (著)
Amazon内容紹介から
『内容(「BOOK」データベースより)
2045年、北関東の町「院加」では、伝説の奇岩の地下深くに、核燃料最終処分場造成が噂されていた。鎌倉の家を出て放浪中の17歳の少年シンは、院加駅前で“戦後100年”の平和活動をする男女と知りあい、居候暮らしを始める。やがてシンは、彼らが、「積極的平和維持活動」という呼び方で戦争に送り出される兵士たちの逃亡を、助けようとしていることを知る。妻を亡くした不動産ブローカー、駆け落ちした男女、町に残って八百屋を切り盛りする妻、役場勤めの若い女とボクサーの兄、首相官邸の奥深くに住まい、現政府を操っているらしい謎の“総統”、そして首相官邸への住居侵入罪で服役中のシンの母…。やがて、中東派兵を拒む陸軍兵士200名が浜岡原発に篭城する―。“戦後百年”の視点から日本の現在と未来を射抜く壮大な長篇小説。』

ここから僕の感想。
 震災・原発事故以降、考え続けてきた様々なテーマが、無関係ではなく。ひとつの関係図としておおよそ見えてきた。しかし、それに対して「どうしたらいいのか」についてはまだよくわからない。むしろ、問題の根深さ深刻さが見えてくるほどに、立ち尽くして途方に暮れる。
 という、今の僕と同じような地点に、この作者はいるようである。関心の領域も、その立ち位置もよく似ている。しかし呆然と何もせずにいる僕とは違い、この作者は、その問題の在り方の全体を、小説という形にして、世に問おうとした。というのが、この作品。大変な力技である。現在、モノを考えるタイプの人なら、考えざるを得ない多くの問題課題を、もう、できる限りもれなく扱おうという意欲にあふれた力作である。
 しかしまた、現在の諸課題の相関関係を描き出す、それ以上の何かに到達しているか、というと、そういう読後感は無い。小説的興奮とか、文学的感動とか、そういう「文学的な意味での傑作」というものでは、残念ながら、ない。
 震災後、「何かのテーマを考えるために、それについて書かれた小説を読む」という読書の一ジャンルが、僕の読書生活の中に生まれた。そうしたジャンルの小説に共通する、物足りなさというのがある。登場人物が、その行動が、その言動が、(もちろんそれなりに上手に人物造形はされているのだが、) なんだか全部、あくまで筋を進めるための「キャラクター」でしか無いように感じられてしまうという欠点。

 各新聞の書評欄でも取り上げられたにもかかわらず、その後話題になることもあまりなく、Amazonのレビュー欄にも一件のレビューもない、というのも、なんというか、そういうこの本の文学的魅力の低さのせいかなあ、とは思う。
 
 この前紹介したヴォルテールの『カンディード』は、時の政治、思想的課題に対する態度・意見表明を、評論・論説ではなく、小説の形で著したものだったように、文学には、そういうジャンルというものがある。のだが。しかし、あれは純粋に冒険文学としても面白かったんだよなあ。

 原発・核廃棄物・戦争可能な国になり、若者が海外に派兵されるということ、そういう現在の先にある未来がどのようであるのか、ということを描き出すというのは、小説にしかできないこと。そのことをテーマとしつつ、小説として、文学として、強烈な魅力・魔力を発揮するような小説っていうのは、出てこないかなあ。

 とはいえ、私の友人の多くが、考えては様々に意見を表明している、原発、核廃棄物処理、戦争法案、自衛隊の国軍化、憲法改正、軍事産業を経済成長のエンジンとする経済政策、つまるところ現在の安倍政権が進めている様々な政策と政治の方向に対する疑問反対。こうしたこと全体をどう関連付けて理解し。そしてそれに対して、どのように生きていこうか。そんなことに興味のある人は、読んでみる価値はある。結構。随所に、深い考察や、なるほど、という提言があります。



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